女子大生が読むちきりん本。
こんにちは、Chisatoです。
そういう考え方もあるのか…と、いつも違った見方を見せてくださるちきりんさん。
今までも何冊か読んでいるのですが、
今回は「ゆるく考えよう」のメモです。
「充実した休日」って矛盾だよね
ちきりんさんは、
なぜ休日が「充実」している必要があるのでしょう?
と述べており、予定が詰まってることが必ずしもよいというわけではないと主張しています。
確かに………
と、深く頷いてしまいました。
これは人それぞれの考え方があるので個々人の考え方にそって休日を楽しめば良いと思うのは大前提です。
私は予定をきつきつにいれないと怖くなってしまう人間です。だらっと過ごしてしまったら、激しく後悔するタイプ。
でも、それもよくね?
と、思いました。だって休日だもん。
やりたいことがある人は別です。
「あれやりたい!」といっておきながら、だらだら過ごして「あーあ今日もやっちまったよ」と愚痴をこぼす人。やりたいことをガンガンやってる人を指差して「夢なんて叶わない」「バカみたい」と笑う人は、別ですね。
これについてはまた別に日にでも。
少数派は、意志があって選んでる
大学生のみなさん、
もし周りのほとんどが高卒で働く時代に生きていたとしても、大学へ行きますか?
多数派に生きてる人は、「なんでそれをするの?」と少数派に投げかけます。
多数派の人は、「周りがAにいくから自分もいく。これが普通」と本気で思ってます。行く理由なんて、「みんなが行くから」でしかありません。
しかし、Bに行くという少数派の人は、Bに行きたい理由があるからBを選んだのです。
意見がなくて流されてる多数派より、
行きたい理由を持って選んだ少数派であることを誇りましょうよ。
そして多数派に「なんでそっちに行くの?」と聞かれても、揺り動かされないようにしましょう。その多数派の人たちに、理由は特にありませんから。
私の例でいくと、国際系の学部にいるなかで、大学とは別にプログラミングを習っていました。でもはじめるときは、周りからは大反対(笑)
でもそれって、私がやりたいって思ったから選んだ道ですよね。
他人にとやかく言われて、道を変えるとか本来おかしいはずなのですよ。
押し付けられた欲を見破れ
みなさんが買っているものは、本当に欲しいものですか?必要なものですか?
それとも、買いたいと思わされて買ったものですか?
モノの種類が増え、たくさんのバリエーションのなかから選べるような時代になりました。
しかし、本当に自分の中からでてきた「欲しい」なのか、「欲しい」と企業側に思わされて思った「欲しい」なのか、見分けがつかなくなってしまっています。
私は最近、「外から押し付けられる過剰な欲望を排して、自分のピュアな欲望を取り戻したい」と強く思うようになりました。
あなたがいま欲しいと思ってるものは、
あなたの「欲しい」の感覚ですか?
自分にとって1番大事な基準をもつ
モノを買うとき、部屋を決めるとき、
総合評価できめてしまいがちです。
ですが、選んだ後に残る不満かが1番少ないのは、
自分にとって譲れないポイントをクリアしているモノ というのはご存知ですか?
何を買っても、不満はでます。
どーーーんなに慎重に選んでも、
不満がでないことは基本ありません。
そのときに、1番自分が納得しやすいのは
自分にとって最も大事な点において、満足できていることです。
ちきりんさんはこれを
と呼んでいます。
どうぞ、自分だけの基準をもちましょう。
お金を稼いだほうが学べる
大学生を例にあげたとき、
1年間学費を払って勉強するよりも、
お金をもらって1年間授業を任されたほうが、圧倒的に勉強しますよね?
「学びたければ金を稼げ、金を払っている場合じゃない」ってことなのです。
私はプログラミングスクールに通っていたことがあります。そこの友達はいまスクールを卒業をして、講師として働いているのですが、講師となった今の方が圧倒的に勉強しています。
だってお金もらってて、下手なこと教えられないじゃないですか。
目の前の生徒に、必死に教えるじゃないですか。
だから、お金を稼いでるときのほうが学ぶことは多いのです。
不安定な世の中だからこそ、下克上可能
今の世の中、景気がとてもいいとはあまり言えませんよね。
世の中が安定していると武士は武士、農民は農民です
就活でいうと、就職の道が狭くなれば、別ルートを選ぶ人がでてきます。
自分で事業をやりはじめたり、他国へ行って働こうとしたり……
景気が悪いと嘆いて終わるんじゃなくって、
別ルートで下克上しませんか。
あと、以下自分に刺さった言葉
個々人にとって大事なのは、「自分は何をしていたら楽しいのか」という自分目線の価値観です。
私、趣味がこれといってないんですよ。
それも、いままでコスパで趣味を考えていたから。
「なにをしてたら楽しいのか」ってことを、ちゃんと考えないと。
幅を広げてくれる本
わたしにとって、ちきりんさんの本は
「こういう考え方もあるのかー!」と、自分の考え方の幅を広げてくれます。
こういう考え方はしないなぁ というときもあるのですが、
知ったうえでそれを自分の考えとして採用してないだけなので、
おーるおっけいです。
今回とりあげた項目も、
自分のなかに取り込んだ考え方集 なだけなので、
実際に読んでみるとさらに得られるものはあるはずですよ!
それは、読んだ人が取捨選択すればいいんだと思います。
いやー読書はたのしいね。
「私にはできない」の予防線
こんにちは。Chisatoです。
昨日はプレミアムフライデーでしたが、私はインターン先のみなさんとご飯→バーチャルゴルフへ行ってきました。
ゴルフは中学時代に半年ほど習っており、毎週打ちっ放しにいくような子どもでした。
そんな私ですが、「ゴルフは趣味にしない」とその頃にはもう既に心に決めていました。
それは「ゴルフを趣味にするとお金がかかるかなぁ」と子供ながらに思ったことのほかに、もう一つ大きな理由が私にはありました。
恥をかきたくない
私は、失敗をとても恥だと感じ、そしてなるべく恥をかかないような道を選んできました。
ゴルフは、打ってる姿を同行している他のプレイヤーに見られます。空振りをしたり、全く違う方向に飛んで行ったりしてしまうことも多々あります。そのときに感じる「恥ずかしい」という気持ちが私を蝕んで、次第に「やりたくない」と思うようになっていきました。
予防線を張っていた
失敗することが本当に嫌だったので、当時の私は「いやあこれは難しい」「できないよ〜」などと、やる前から言っていました。そう発言することで、もし失敗しても「難しいのだから仕方がない」という言い訳がつけてしまうからです。私はそうやって予防線を張り、恥から身を守ろうと必死でした。
数年ぶりに目の当たりにした自分
数年ぶりにゴルフをやってみて思ったのは、
「私、全然変わってない」
ということでした。
久しぶりに打つ最初の一打。ドライバーは得意だったこともあり、なかなか好調。
しかし、アイアンやパターを打つうちに、段々とミスが目立つようになってきました。
そこで、
「いやぁ〜難しいですねえ〜〜」と発言してる自分を発見。
そして、「帰りたい」とまで思うようになりました。
昔のフィールドでは、昔のまま
中高時代、私は割とハードな部類に入る部活に入っていました。
「できない」とセーブをかけてしまう癖は、私の場合スポーツでやってしまうことが多かったこともあり、中学時代は特に、この嫌な自分を目の当たりにしなくてはなりませんでした。
大学生になり、部活をやらなくなり、その嫌な自分に出会うことがほとんどなくなっていました。
授業でプレゼンをする、などもちょっと前までは、心臓ばくばくで「はやく帰りたい」と心底思っていました。しかし、発表する機会があったらあえて立候補するなど、場数を踏んで大分克服していたのです。
しかし、昔の自分のフィールドである、スポーツ、そしてゴルフ での自分は、なに一つ変われていませんでした。
根本的なところは、変われていないようです。
変われた と思っていたのは、授業でのプレゼンというフィールドだけだったようです。
あえてやる しかない
私は、この自分の癖が嫌いです。
いっこいっこ、なくしていくしかありません。
場数を踏んで、プレゼンで緊張しなくなったように、ゴルフのフィールドで逃げたいと思わなくなる自分になりたい。
そのためには、あえてやるしかない。
もう逃げてばかりはいたくない。
そう思って、チャレンジし続けようと決めたプレミアムフライデーでした。
一期一会にあんまり賛同できない論
こんにちは。Chisatoです:)
昨日、電車で妊婦さんがいらっしゃったので、席を譲り。その後、降りる駅が同じだったこともあり、再びお礼の言葉をいただきました。
「朝から嬉しいな〜〜〜」と思って、この一瞬の出来事、一瞬の出会いに感謝しました。そして、「これって一期一会っていうんかな」と思いました。
よくわからない
ですが私は、「一期一会」という言葉があまり好きではありません。なぜなら、「この出会いは1度きり!だから、また誠心誠意尽くそう!」という考え方に、あまり賛同できないからです。
また会えるでしょ
私は、世界は狭いと思ってます(いい意味で)。自分の友達の友達...を6回続ければ、地球の裏側の人だって、トランプ大統領だって繋がれる、という研究結果があります。世界は、案外狭い。誰とでも友達になれる可能性だってある。
そんな中で、この出会いは今この一瞬だけ!!!と思えないのです。
今しかないから大切にする、という考え方
別に、そんなことは一期一会という言葉の中に含んでないとは思うのですが、「この出会いは今ここだけだから大切にしよう!」という言葉を聞くと、「じゃあ毎日会う友達は、ぞんざいになっていいと。。。?」と思ってしまいます(ひねくれてる)。
今を大切にする、そのことはいいと思います。ですが、どんな人とでも、毎回の時を誠心誠意尽くしていきたいと思うからこそ、「もう2度と会えないかもしれないから。。。!」に少し疑問を感じてしまいます。
もう会えない人であっても、明日会える人であっても、その「時」は1度しかないはずだからです。
一期一会の意味
一期一会ってどういう意味ですか? - 一期一会の「一期」とは一生という意味... - Yahoo!知恵袋
一応、リンクを貼らせていただきますが、こんなひねくれた意味はおそらく含んでないでしょう。
でも、「一期一会だよね!!!」みたいな話を聞くたびに、違和感を感じるそのわたしの考え。それを今回は書かせていただきました。
一期一会 は、世論的に素敵な言葉なので、私の考えとぶつかる人の方が多いかと多いかと思いますが、「まあこんな人もいるんだな」ぐらいに思っていただければ幸いです。
みんなもっと褒めればよくない?
こんにちは、chisatoです。
今日は、褒めるということについて書きたいと思います。
私の友達がいったセリフが、「あ、そうか」と腹落ちしたことから
褒めるということ について考えるようになりました。
「みんなもっと褒めればよくない?」
わたしがある友人と散歩していたときのこと。
その子がやたら、
「えー!いいねそれ!」
「すごいじゃん!!」
と褒めてくれるので、
「〇〇ちゃんって、すごくよく褒めてくれるよね~」
と話したところ、
「みんな、思ったことを言ってないだけで、心のなかでは思ってるんだよね。
【今日の洋服かわいいなぁ。どこで買ったんだろう】
【血管浮き出ててかっこいいなぁ】 とか。
ただ言ってないだけ。
だから照れずに言えばいいと思う。
そしたら、言われたほうも嬉しいし、言ったほうも嬉しくなる。
みんながハッピーなんだよ!!!!!」
と彼女が話してくれました。
なるほど。。。
そうか、思ったことをいえばいいだけなんだ
と、当たり前のようなことではありますが、
自分の中で妙に新発見というか、
腹落ちした感がありました。
ちなみに彼女は、そう思った日から
- 人を積極的に褒める
- ちょっと照れくさくても、思ったなら相手に伝える
を自分の中で「やる」と決めたそうです。
私もそれから、
人を褒めるということを意識的にやるようになりました。
褒められていやな気分になる人などいないのですから。
こうしたちょっとの意識だけで、
自分の半径1メートルぐらいの人を幸せにできますよね。
褒める は世界を救う!!
読書好きの私が読んだ【本の「使い方」】
こんにちは。
ゼミ課題やってたらこんな時間になりました、Chisatoです。
私の趣味に、読書があるのですが、
最近読んだ、【本の「使い方】をレビューしようと思います。
- ライフネット生命を退任された、活字中毒者で知られる出口治明さんの著書。
- 出口さんが以前から述べている3つの大事なこと「人、旅、本」の、本にフォーカス
- 何を読めばいいのか、本にはどんなメリットがあるのか などを説明
ざっくりとした概要なこんな感じでしょうか。
以下、なるほどと思った話を厳選してまとめてあります。
これから買おうとしてる人は、どんな内容が書かれているのかを
買うつもりないけど..て人は、ここで読んで読んだ気になっちゃいましょう(笑)
マーカーを引いた部分の紹介
教育+教養
出口さんは、このように定義しています。
教育=人が生きていく上で最低限必要な武器を与えること
教養=より良い生活をするために必要な、考える材料となる情報を体得すること
人生は選択の連続です。
「今日のお昼は食べようかな」という簡単な選択から「この人と結婚するべきかしないべきか」という難しい決断まで、自分で考えて答えを下さなければなりません。
そんな中、よりよく生きていくためには、この日々の選択を少しでも良くことが必要。
その判断の材料となるのが「教養」です。
ココシャネルの生き方
みなさんご存知のココシャネルですが、出口さんはココシャネルその人が好きだとおっしゃっています。
そのココシャネルの有名なセリフがこちらです。
「私のように、年老いた、教育を受けていない、孤児院で育った無学な女でも、まだ1日に一つぐらい花の名前を新しく覚えることはできる」
このセリフに、はっとさせられました。
勉強しなきゃ、という考え方は昔から好きではなかったのですが、
改めて、新しい知識を知ることの楽しさを思い出しました。
私の中で、土日は
「自分の勉強したいこと、行きたいところ、してみたいこと」を叶える2日間、
と自分の中で位置付けています。
「学ぶことは楽しいことだ!」という考え方が、自分の生活をも変えてますね。
次はシャネルの伝記でも読もうかな。
生きる意味
出口さんは、
私は、人間が生きる意味は「世界経営計画のサブシステム」を生きることだと考えています。すなわち、人間が生きていく以上、「この世界をどのようなものだと理解し、どこを変えたいと思い、自分はその中でどの部分を受け持つか」を常に考える必要があると思っているのです」
とおっしゃっていました。
これにかなりガツーンと頭を打たれたような気がします。
これって仕事を考える上でも大切な価値判断のボーダーになってくると思うんです。
「世界を変えたい!」と思ってたとしても、この世界がどのようなものかを知らなければ語れない。
その「どのようなものか」を知る手がかりになるのが読書だ、ということなんですよね。
自分のことや、自分の周囲だけしかみてなかったら、この世界も理解できないし、自分の今いる立ち位置も把握できないですから。
古典を読むべし
出口さんの今まで読まれた本を見ると、圧倒的に古典が多い印象を受けます。
その理由の一つに、出口さんは、
「古典にはハズレがない」と考えているからです。
よくない作品は淘汰されて行きます。本当に良い作品、本質を突いているもの、でないと現代まで残っていないはず、ということです。
私は今まで、「古典は難しいそうだからなぁ。。。」と避けてきました。
しかし、出口さんに言わせると
古典がわからないのは、自分がアホだから
ということです。
古典が難しく感じる原因は、時代背景が違うから。
同じ単語だったとしても、意味してることが違う時ってありますよね。
今、大学のゼミで「グレートギャツビー」を原文で読んでいるのですが、
いやはや難しい。。。
言い回しが綺麗すぎるんですよね。とてもわかりにくい(笑)
だからこそ、読んでて気持ちがいいし、面白いのですが。
大学時代にするべきこと
大学時代は、自分の好きなことを徹底的に勉強する。
最近、「いやぁ、これに尽きるなぁ」と思うんですよね。
やっとこれができるようになってきた ...というより
そういう考え方がすこーしずつ理解できるようになってきた、の方が近いかもしれません。
今まで、「大学生活を過ごす上で、正解はなんなんだろう」と思って
ずっと正解探しをしてきました。
(最近も、就活というワードが身近になり始めて、割と正解探しになりがちでしたが。。。)
「そうじゃないんだ。好きなことをやるべきなんだ」ということは、
肝に度々命じないと、私の場合はダメですね。
思考力を鍛える
木田元さん(哲学者)がよく言われているように「きちんと書かれたテキスト(古典)を一字一句丁寧に読み込んで、著者の思考のプロセスを追体験することによってしか人間の思考力は鍛えられないのです」
だから、概要を学ぶんじゃなくて、ウィキで検索するんじゃなくて
「古典を読め」ってことなんですよね。
読書について、この考え方は私にとってはとても新鮮でした。
「知らなかったことを知るため」「新たなものの考え方を取得するため」
として読んできたからです。
思考力を鍛えるって、「なんでだろうと考える」だけではないんですね。
思考の過程を追体験することで、思考力は鍛えられるのです。
まとめ
以上、【本の「使い方」】を読んで、自分に刺さった部分をピックアップして記載致しました。読書はもともと好きなのですが、たまに「読書をするとは」みたいな本を読むと、気が引き締まります(笑)
私が本を読むようになったきっかけは、「趣味として、一番コスパが良い」からでした。お金と時間をつぎ込むなら、対効果がいいものがいいなと思ったんですよね。
こうやって、大量に読書されている方の「読書論」を聞くと、ためになります。
ためになっただけで終わっちゃダメで、読み続けることが大切ですね。
出口さんの【本の「使い方」】はこちら
Amazon.co.jp: 本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法 (角川oneテーマ21) eBook: 出口 治明: Kindleストア
養鶏女子のチャレンジ。
はじめまして
おはようございます!Chisatoです。
先にお断りしておきますが、
もし、「え?女子大生が養鶏所やってるの?」
って思って入ってきた方がいらっしゃいましたら、
誠に申し訳ありません。
やってないです。
「養鶏女子」とは、
「ごきげんよう系女子」の略で、
NOTウェイ系を指します。
(昨日つくりました。)
NOTウェイ系っていったら、
なんか見た目がみすぼらしそうじゃないですか?(失礼)
「内面がウェイじゃないって、遊んでるばっかりじゃない」 って
言いたかったんですよね。
お前誰やねん
さて、自己紹介に移ります。
名前:Chisato
職業:学生(大学3年生)
やってること:
の3つでしょうか。
つまり、NOT ウェイ系である。(強調)
なぜブログをはじめたのか
一番大きな理由としては、
自分のバケットリスト(死ぬまでにやりたいことリスト)
(参照:Naverまとめ)
に、「自分のメディアを持ちたい」
と書いたことから始まります。
(ペンたての下の汚れは、落ちなかったんだヨ!)
(白い紙の真ん中には、
「やりたいことリスト」と書いてある)
自分の好きなこと
私は、書くことが好きです。
趣味というか、好きなことのうちの1つに
「手紙を書く」というのがあります。
友達の誕生日や、家族のお祝い事、
事あるごとに手紙を書いて渡す(もしくは、それを写メって送る)
ということをしています。
そして思いました。
「...あれ?私、書くことが好きなんじゃない?」
とにかくやってみる
というわけで、ずっとやりたかった「ブログ」を、
はじめてみたわけです。
あわよくば、
誰かから為になったと思ってもらえる
記事がかけるようになったらいいですね。
終わりに
1つ目の記事はこんな感じです。
それではまた!Chisatoでした!:)